(1843年ノルウェー、ベルゲン生まれ;1907年同地にて死去)
ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ長調 作品8 (1865年作曲)
第1楽章:Allegro con brio
第2楽章:Allegretto quasi andantino
第3楽章:Allegro molto vivace
22 歳のエドヴァルド・グリーグは、1865年の夏をコペンハーゲン近郊のラングステッドで過ごし、最初のヴァイオリン・ソナタを作曲しました。その当時のグリーグは、数年間にわたる有名なライプツィッヒ音楽院での勉強を既に終えており、ブラームスやシューマンを代表とするドイツ・ロマン主義に深く影響を受けた、向上心に燃える若い作曲家でした。グリーグの作品としては、『ペール・ギュント組曲(1876年作曲)』や『ホルベルグ組曲(1884年作曲)』、『ピアノ協奏曲イ短調(1868年作曲)』など、ノルウェーの伝統文化や民族の特色が強く現れた愛国心の感じられる作品が特に有名ですが、『ヴァイオリン・ソナタ第1番』が書かれた頃から、スカンジナビアの民族伝統、中でもノルウェーの民俗や文化への興味は高まり、作品に民族主義的な傾向が強く感じられるようになります。
グリーグは、生涯で6つの室内楽曲を残しましたが、そのうち3曲がヴァイオリンとピアノの為の作品であり、1865年から1887年の間に作曲されました。これらのソナタをグリーグ自身とても気に入っていて、「3つの作品のそれぞれがその時々の自分の進歩を表している。第1番は、繊細で豊富なアイデアがつまっていて・・・、第2番は国粋主義的で・・・・、第3番はより広い視野で書かれている。それぞれ私に大きな幸運を運んできてくれた」と、かつてコメントしました。
グリーグの『ヴァイオリンとピアノの為のソナタ第1番』の楽譜を見て、フランツ・リストは、若い作曲家にすぐに会いにくるよう招待しました。リストのサポートもあって、グリーグの評判は高まり、この曲は彼の作曲の才能を世に広めることになりました。
ヘ長調のソナタは、若い作曲家が急速に魅せられていたノルウェーの民俗音楽のメロディーやハーモニーの特徴も出ていますが、ドイツ・ロマン主義の色彩が色濃く残っているのは驚くべきことでもありません。冒頭でピアノが2つの静かな和音を奏でた直後に、ヴァイオリンは甘くまた希望に満ちた主要テーマを歌い始めます。メロディーラインに隠れるようにサラサラと吹く風のような印象が、音楽に幻想と新鮮さを付け加えます。
グリーグの音楽は、ありふれているとか、独創的でないとかしばしば批判されることがあります。確かに、「以前どこかで聴いたことがあるのではないか」と思わせるようなパッセージがあります。しかし、グリーグの音楽が際立っているのは、速くてもゆっくりでもテンポに関係なく、流れるような音楽と、幻想的でシンプルな民族的感情の中にも情熱的な気質が感じられるところです。これらの性質は、ヘ長調のソナタを含め、初期の作品の中に既に顕著に現れています。
軽快な第1楽章は驚くほど静かに終わり、スケルツォ形式の第2楽章へと続きます。第2楽章では、イ短調の古風なダンス音楽とイ長調で書かれたお祭りのような民族ダンス音楽が交互に出てきます。スケルツォはゆっくりな楽章に続いて第3楽章で使われることの多い形式なので、このスケルツォ形式の第2楽章は通常のソナタの型には当てはまっていません。第3楽章(最終楽章)のアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェは、親しみやすく、陽気な雰囲気が戻ってきます。第1楽章の冒頭よりも激しく、エネルギッシュで、優しい雰囲気の中にもピアノとヴァイオリンの双方にヴィルトゥオーソ的な要素をより多く求めています。
グリーグは『ヘ長調のソナタ』に大変満足していました。1865年にクリスティアニア(現オスロ)で、ノルウェーの音楽ばかりを集めた初のコンサートで初演されましたが、グリーグは、晩年になってからもこの曲を広めるよう努力しました。このソナタは、作曲家と同時期に活躍した偉大なヴァイオリニストであるヨーゼフ・ヨアヒム(1831‐1907)によって、しばしばグリーグがピアノを担当して、演奏され、一流と認められました。後にオスカー・シュムスキー(1917-2000)が世界中でリサイタルツアーを行っていたときに、この曲を演奏したこともありました。最近ではほとんど忘れ去られていますが、演奏されると、聴衆は必ず魅力を感じる美しくて、わかりやすい曲です。
2006年 五嶋みどり
(編・訳:花田由美子)

